後悔を抱きしめる

—僕は、正しく傷つくべきだった—

「ドライブ・マイ・カー」

 

 まだ声が発せる頃、誤嚥性肺炎で入院していたおばあちゃんが病院で怒り交じりに発した「家に帰りたい」という求めに応えることができなくて後悔し続けていたことに、おばあちゃんの死から7年経った今気がついた。あの時私はそれがしょうがないことだと思おうとしていたけど、本当はもっと何かできたんじゃないかと、心のどこかで思い続けてきたらしい。そして心の別のどこかは後悔を認めることが出来なくて、後悔を自分に対して隠してきたらしい。

 

 実際、両親が離婚して私と妹も学校に通っていたあの状況で、本当に私一人の力でおばあちゃんを家に連れて帰れたかどうかは分からない。けれど、多分実際にそれができたかどうかじゃなくて、自分の心に対して、おばあちゃんの訴えに対して、自分が悔いのないところまで考えることが大切だったのだろうと思う。私はあの時、「短期間はできたとしても、その状況がいつまで続くか分からない」という母の言葉に脅え(甘え)、深く考える前に出来ないと諦め、考えることから逃げた。生まれてこの方最上級に大好きだった人の、私にだけこぼした、たった一度の、訴えから。私は大きな過ちを犯したのだ。後悔している、と気付いた今この時から、私はこの失敗を一生抱えていくのだろう。

 でもそれでいいのだとふと思った。後悔や失敗は持ち続けていいものなんじゃないかって。不思議と、後悔の気持ちを受け入れることのできなかったこれまでよりもずっと爽やかな気持ちだった。

 

 特に介護中~祖母の死後、終末期の医療のありかたについて延命優先ではなく患者の意思や人生を優先できるように変わっていくべきだと考えていた。そうでなければ、うちのおばあちゃんのように管に繋がれてミトンをされる辛い(ように見える)延命治療は無かったのにって。今でも基本的にその考えは変わらない。できるだけ、患者が苦しい思いをしてただ命を伸ばされているような状況が少しでも減らせればいいと思う。

 

 けれど私が延命治療のありかたに固執していた一番の理由は、おばあちゃんの言葉に対して、(YESにしろNOにしろ)自分がこれでいいと思える決断をできなかったことなんだなと気が付いた。おばあちゃんの死から7年経った今日、ふと。多分怖かったんだと思う。あの時私はギリギリで一生懸命頑張っていたから。もっとできることがあったかもしれないことを認めるのがきっと怖かった。自分を否定してしまうような気がして。だから、自分にあの決断を強いた状況を、医療体制を否定することで自分は悪くないと正当化しようとしていた。誰に対して?自分に対して。他の誰も私を責めていない。私が私に対して何か言い訳を見つけて赦して欲しがっていたのだ。

 

 7月25日は祖母の誕生日だ。せっかくなので、祖母について書いているうちに自然とこのことが浮かび上がって来た。ほとんど楽しいことばかりだった祖母との思い出の中、唯一と言っていい位ヘビーな記憶なのに、それでも手は動いた。書いているうちに、書くまで気づかなかった当時の自分や現在の自分に出会った。心の底では後悔していた当時の自分、それを認めることが出来なかったこれまでの自分、その後悔を持ち続けて生きていくことを決めたこれからの自分。自分と自分の認識する世界が変わる瞬間に立ち会うことができた。そして、後悔は救いにもなることがある可能性を知った。今目の前にいないおばあちゃんと私との関係が書くことを通して変わったし、これからも変わっていくのかもしれない。書くことは、生きることは面白い。そう感じることのできた一日だった。ハッピーバースデー、ありがとう、ばあちゃん。