(本)サピエンス全史

最近、「サピエンス全史」という本を読んだ。

 

一般的に「歴史」と言えば文明以後の世界や国、地域の流れをさす(様な気がする)けど、「サピエンス全史」では私たちホモ・サピエンスという種の誕生から狩猟時代、農耕時代、そして現代にいたるまでの生物の歴史を描いていて、もっと大きな視点で人間を俯瞰することができて面白かった。

 

この本では、ホモ・サピエンスとその他の動物とを大きく隔てる要因となったことの一つに「認知革命」があると述べている。認知革命でサピエンスが獲得したのは「目の前に存在しないものを集団で信じることができる」能力、つまり、フィクションを集団で信じる能力だという。

 

なぜそれが必要かというと、知らない人との協力関係は共同で信じているフィクションなしには成り立たないから。例えば、サルの群れは、皆が知り合えるぐらいの大きさでしか作れない。親密な仲じゃないと信頼できないから、協力できないらしい。

 

でも、サピエンス=人間がそれをできるのは、社会や、そのルール、お金、宗教、権利など、目に見えない「概念」を皆で共同で信じて、それを守って生きているから、同じ社会にいる名前も知らない人と協力することができる。つまり、私たちの社会や暮らしは認知革命以後、どの時代においても作られた物語の上に成り立ってきたということ。

 

現代の多くの人(私も含めて)は植民地帝国時代にヨーロッパの国々が原住民の人々にやってきたこと、第二次世界大戦のときにドイツがアーリア人至上主義を掲げて、それ以外の人種を劣等人種と見なしたり、ユダヤ人を排除しようとしてきたことを否定する(そしてもちろんそれは大事なこと)。

 

だけど、その時代のその国々では、それが当たり前に信じられてしかも科学(!)に裏付けられていたこと(もちろんそれに抵抗する人もたくさんいたけど)を覚えておく必要がある。

なぜなら、私たちの時代で信じられていることは、次の次の時代にはもう信じられていない可能性が高いし、それは、私たちの常識が絶対的なものではないということだから。そして、私たちもナチスドイツと同じことをする可能性があるということ。

 

でも同時に、物語のおもしろいところは書き換えができること。

自分たちの文明や社会に対して常に他の可能性を開きながらよりよくおもしろい社会を作っていける可能性がある。

 

ただ、今後人間だけでなく、AIが社会の多くを担うようになった時、人間が向き合わなければならないのは、自身の物語だけでなく、人間の手を離れたAIかもしれないし、何か別のことかもしれない。