#53 突然の来訪
それは急にやって来た。
秋の涼しさの気配を少しだけ感じる、まだむしむしとした感じの抜けない9月の夜だった。
その時私は夕食のトマトソースパスタの準備をしていた。いい風が吹いていたのでクーラーをつけずに窓を開けて、ニンニクと玉ねぎをみじん切りにし、オリーブオイルをたっぷり入れたフライパンで弱火でじっくりと炒めているとき、突然玄関の呼び出し音が鳴ったのだ。
私はそもそも友人は多くないし、数少ない友人も連絡なしに夜8時に急に訪ねて来るとは考えられない。インターネットで何かを注文した覚えもないから、宅急便が来るとも思えない。もしかしたら誰か遠方の友人が荷物でも送ってくれたのだろうか。
少し緊張しながら、トイレのドア横にある来訪者確認用のモニターをのぞいてみた。
そこには身長80センチ程のペンギンが立っていた。
ドアを開けると、やっぱりそこにはペンギンがいた。
どこにも継ぎ目はないし、ちゃんと息をしている。階段を上って来たからか、少し息が上がっているようにも見える。
「こんばんは。夜分遅くにすみません。夜から急に知らないペンギンが訪ねてくるなんて、きっと驚かれると思ったのですが、どうしてもあなたに伝えたいことがあったのです。ここで話すことはできないのでもしよければ上がっても構わないでしょうか。」
状況が飲み込めないが、礼儀正しく、何となく好感の持てるペンギンだった。嘘をついているようにも見えないので、とりあえず部屋に上げることにした。
「ふう。ありがとうございます。それにしても暑いですね、沖縄というところは。暑さに加えてどうも湿気がこたえる。もし差し支えなければ、少しエアコンをつけていただいてもよろしいでしょうか」
ペンギンのために地球温暖化を促進するエアコンをつけるのも少しシュールだなと冷静に思いつつ、窓を閉めエアコンをつけ、氷をたくさん入れた水を出した。
「ありがとうございます。あなたは見ず知らずの私のようなペンギンを家にあげ、クーラーを付けてくれただけでなく、氷の入ったお水までくださるなんて、本当にいい人だ。僕の目に間違いはなかった。はあ、生き返るなあ。」
「ところであなたはどこからここにいらっしゃったんですか?北極ですか?」
「まさか。あなた、北極にペンギンはいませんよ。いるのは私たちに似たパフィンという鳥だけです。ペンギンがいるのは南極です。」
よく間違えられるのか、少しうんざりした様子でペンギンは言った。
「でも実は私は南極出身ではないんです。南極は私のご先祖様が住んでいただけで、私自身は北海道の動物園出身です。そこで日本語も覚えました。まあ、檻の中ではすることも限られているので、退屈しのぎに来園者の話す言葉を覚えてみたんです。」
「なるほど。それで、今日はどうしたんでしょうか?」
「まあまあそう急がずに。急がばなんとかっていうでしょう?急がない方がいいことだって世の中にはあるんです。それより、何かいい香りがしますが、さてはあなた今料理をされていたのではないですか?」
「そうですが。もしかして、ペンギンさん、お腹がすいているのですか?」
「お恥ずかしながら、その通りです。北海道から沖縄まで泳いできたもので。移動中魚を食べながら来ましたが、さすがにお腹が減ってしまいまして...」
「それはそうですね。ご苦労様です。私は今トマトソースのパスタを作っていたのですが、ペンギンさんは何が食べられますか?」
「トマトソースのパスタ!それは美味しそうだ。もしご迷惑でなければそれを少し分けていただいてもよろしいでしょうか」
「いいですよ。ただ、トマトソースを煮込むので、30分ほど時間がかかりますが大丈夫でしょうか」
「もちろんですとも」
トマトソースを作る間、テレビのバラエティ番組を楽しそうに見るペンギンを見ながら、これはどういうことだろうとぼんやりと考えた。
とにかくまずはご飯を食べよう。
#53
#毎日何かを書いてみる
#ペンギン
#52 雨上がりの朝
何か違う
昨夜の雨が
空気中の目に見えないちりを
洗い流したような
澄みきった朝
うまく言えないけど
私の気持ちも
何か重いものが
流れて行った
そんな気がする
きっと
昨日の夢だ
感情が溢れだしたから
あの人が死んで
嘆き叫んだ
恋人をとられて
嫉妬に狂った
子どもみたいに
いつもの私
じゃないみたいな
私の感情
何の予兆かしら
分からないけど
何かが違う
それだけは分かる
#52
#毎日何かを書いてみる
#雨 #朝 #夢
#51 愛について考える
#49で引用した愛に関することばについて私の考えをまとめてみる。
#50で書いたように、最近、幸せがこわいな、と思うことがある。
幸せを感じることが悪い、と言うわけではない。幸せは悪くない。
そうではなくて、自分が幸せであるべきであるという考え方が、今の自分の状況やまわりの人への不満につながり、不幸せな気持ちが生まれてしまうんじゃないかな、と思うのだ。
わたしたちは(そうじゃない人ごめんね)、無意識に愛や結婚に幸せというものを求めがちである気がする。なぜなら、自分が好きな人と一緒にいるという状態はそれだけで心地よいから。出会ったときや付き合い始めはその人のことを見ているだけで、一緒にいるだけで、話しているだけで満たされた気持ちになれる。だから、この人と結婚すれば、ずっと一緒にいられればどれだけ幸せになれるだろう、と無意識に思う。
けれど、一緒にいる時間が長くなればなるほど、相手の嫌なところが見えてくる。それは、初めは自分にとって都合の良い部分(=私が心地よく感じる部分)でしか関わりが無かった相手の都合の良くない部分(=私と違うところ)がどんどん介入してくるから。
よくよく考えると、「育ってきた~環境が~違うから~」と山崎まさよしの歌にあるように、全然違うところで生きてきたんだから、考え方とか生き方、好き嫌いが違うのは当たり前だ。自分のスタンダードと違うスタンダードを持っている相手が理解できないのも当たり前だ。だから、結婚(=自分と違う他人と生活を共にする行為)は内田樹の言うように「エンドレスの不快」なんだろうな~と思う(まだしたことないけど)。
もし「この人と結婚したとしたら、私は幸せになれるだろう」という無条件の期待を抱いていたとしたら、ここで「あなたといれば幸せである(はず)」という期待と「エンドレスの不快」との間に矛盾が生じる。
あなたは私を幸せにしてくれるはずなのに、次々に不快をもたらしてくるのだ。だから、私の期待に添わないことをしてくる相手がどんどん許せなくなる。「なんで~するの?」「なんで~してくれないの?」と。
だけど、相手は私とはコミュニケーションの仕方も、考え方も、信じているものも全く違う人間なのだ。だから、どんなに愛し合っていても、大切に思い合っていても、自分の正しさ、心地よさ(=相手にとってはそうではない)の中に相手を当てはめようとしても、その想いは全く伝わらないこともあるし、お互いに傷つけ合ってしまうこともある。
私とあなたは根本的には違う人間なのだ。
もちろん、より似ている、よりわかり合える相手、と言うのはあるのだろうけど。
それはすごく悲しいことかもしれないけど、内田樹は「あなたと私はわかり合えない人間同士だ。だけどそれでも、あなたとわかり合いたい、あなたに伝えたい」と葛藤しながら共に生き続けるところに意味があるんじゃないかと言っているような気がする。
まさよしも『セロリ』で歌ってるように。それは好きじゃないと出来ないことかもしれないけど。
実はこれは夫婦だけではなく、子どもや親、友達など、大なり小なり全ての人間関係に言えるのではないかと思う。
そして、中島みゆきが歌うように、自分の価値観における正しさと真逆のこと、社会から認められないようなことすら、その人のためにできてしまうことが究極の愛なんじゃないか(君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる)、となんとなく考える今日この頃です。
#49 愛について
最近考えさせられた愛についての言葉
互いに互いを愛していて、必要とも感じていて、大切に思っている。それなのに、そのことが伝わらない。伝わらないことが、相手を傷つけてしまう。どちらにも悪意があるわけではない。けれども、自分が心地よくいられる状態を作ろうとすると、それ自体が相手を傷つけ、悲しい思いをさせてしまう
—『ペルソナ』中野信子
結婚が約束するのはエンドレスの「不快」である
結婚とは「この人が何を考えているのか、私には分からないし、この人も私が何を考えているのか、分かっていない。でも、私はこの人にことばを贈り、この人のことばを聴き、この人の身体に触れ、この人に触れられることができる」という逆説的事況を生き抜くことである
—『街場の現代思想』内田樹
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
—『空と君のあいだに』中島みゆき
#49
#毎日何かを書いてみる
#今日はうまく言葉が出ないので引用を
#48 青
潮 引ク
月ノ 引力
生理モ 同ジ
海ノ 中ノ 私
ノ 中ノ 海
引イテハ 寄セル
引イテハ 寄セル
昔昔 珊瑚 ダッタ
今モ 珊瑚 シカシ 化石
大キナ 珊瑚ノ 化石 シカシ
銀河 デアリ ソシテ
細胞 デモアリ
宇宙ノ 中ノ 世界
ノ 中ノ 珊瑚
ノ 中ニ 宇宙 アッテ
世界ノ 中ニ 私 イル
私ノ 中ニ 世界 アル
#48
#毎日何かを書いてみる
#海 #珊瑚
#47 死ぬんじゃないかと思った話
その朝は、世界の終わりが来るのかというほど、美しかった
朝露がキラキラと輝き小鳥は木のまわりで戯れ
シロツメクサの宇宙の中には生まれたばかりのつるっとした虫が佇む
太陽は背中を温め、風は穏やかで、小さな蒲公英は太陽に向かって静かに輝いていた
小さく響く鳥のさえずり、虫の声、民家から聴こえてくるピアノの練習の音を背に、私はもう死ぬのではないかと考えた
その時それに対する返事のようにカラスがカアカアと鳴き、それに呼応して遠くで子どもたちがカアカアと鳴いた
光が、音が、空気が溶けて全てがあるところにあるような
永遠の瞬間
向こう側で別の子どもが「あいらぶゆー!」と母親に向かって愛を叫ぶ
なんだか私もその一員になってしまったような気持ちになり、親子たちに「おはようございます」と挨拶した(「はろー」と言おうかとも思ったがやめた)
若い母親はややとまどった声で「おはようございます」と返してくれたが、子どもたちは黙ってしまった
少し申し訳ない気持ちになった
と、太陽が刺すように熱くなり始めたので家に退散することにした
今日はまだ死なないらしい
#47
#毎日何かを書いてみる
#朝 #永遠 #なんかごめん