食べるように読む

特に理由はないけど、よしもとばななさんの作品を食べるように読んでいる感覚をずっと持っていた。

 

ある辛い時期、仕事をしている時間、ご飯を食べている時間、お風呂と寝ている時間以外はずっとよしもとばなな作品だけを摂取し続けていたことがあった。仕事がはじまる前も車の中で読んでいたし、読み終わる前にはブックオフに行って、次の本を何冊かストックしていた。それは栄養摂取の一つといっても差支えなかったと思う。特に理由も分からないまま、日々よしもとばななの本を読むことでどこかに踏みとどまっていたんだろうと思う。あるときそれはぴたっと止まって、他の本と同じようなペースで読むようになったけど、今もばななさんの本は目の前にある美味しいデザートを我慢できなくてがっつくような感じで読んで、読後は美味しいものを食べたなあという気持ちで満たされる。どうしてだろうと思っていたけれど、最近吹上奇譚を読んでいて、なんとなくその理由が分かった気がした。多分私は、ばななさんの本に通底する(?)、「(見えないものも含めて)ふんわりと世界を肯定する目線」が好きなのである。少なくとも吹上奇譚では、主人公がもっている、ざっくりと世界を祝福する目線が好きだ。決して「そうしなければいけない」という道徳っぽい感じではなく、あくまで自然体で世界のいいところを見つめ、愛する視点で描かれている気がする。その言葉を体に入れたあと、世界っていいところだなという目線をもって世界と向き合えるというか。そして、多分それが当時私にとっても「そのままでいいよ」と感じられたのかもしれない。だから、私は弱っていたあの時むさぼるように、無心によしもとばななを読み続けていたのかもしれないと思った。そして、今も「そういえば食べてなかったな」という感じで大好きなお菓子を食べるように、ばななさんの大好きな言葉と世界を、頭と体と心に取り込もうとする。その無心に取り込む感覚は、小学生のころ、ハリーポッターやダレンシャンなどのファンタジー小説江戸川乱歩などの推理小説の世界観に入り込むように読んでいた感覚と近いのかもしれないな、と何となく思う。