#63 夢

f:id:tusensommar0408:20210419072221j:image

 

探して、—を。
聴き覚えのある声を後に眠りから覚める。どこで聞いた声だろう。ぼんやりと反芻しながら、でもやっぱり思い出せない。ゆっくりと瞼を開ける。

 

外が暗い。頭がぼーっとしてだるい感じがする。眠りすぎたらしい。手を伸ばして携帯を見ると、最後に携帯を見てから2日経っていた。よく寝たなあ。一瞬大学のことが頭をよぎったが、幸い夏休みだった。

 

近くで米軍のヘリコプターだかオスプレイだかが轟きはじめた。最近は特に朝も夜もおかまいなしだ。ちょっと前に領土問題の島が安保適用になったとかそんなことがニュースになっていたけれど。何故人は武力で牽制をするのだろうか。あるいは戦争をするのだろうか。「何故、人は戦うことをやめないのか」色々な理由があるだろう。国の領土を大きくしたいとか、名声がほしいとか、宗教を広げたいとか、他国の支配から抜け出したいとか、国威を示したいとか、お金になるからとか。終わることのない欲望や野心なのか、家族を殺された恨みか、それとも抗うことのできない流れなのか。これまでの歴史の中で、人類は尽きることなく戦争を繰り返してきた。きっと、平和というのはそこにあるものではなく、このすごく物騒な世界で人びとの見ている美しい夢なのだろう。そんなありえないものはどうやって現実になるのだろうか。これまでの歴史から考えると実現する可能性はほぼ0パーセントに等しいかもしれない。そんな現実のなかで、欲望や野心や恨みや利害の渦のなかで、争いのない世界を作る。その逆説を受け容れなければ、やっぱりそれは夢のままなのかもしれない。平和が実現するとすれば、それは途方もない泥臭さや妥協の上に成り立つのではないか。

 

米軍のヘリコプターなんて、小さい頃から慣れ切ってしまった音だったけれど、飛んでいる時間帯のせいか、頻度のせいか、最近はこれまでよりも少しうるさく感じる。そのことに少しほっとするようなしないような。或いは、うるさいと感じたいという願望しれない。沙羅さんとこの間話してた時、飛んできたオスプレイに怒っていたから。あ、そうか。怒るものなのか、と思って少し羨ましくなった。この音はアメリカ本国の市街地では聞こえるはずのない音らしく、沖縄でこれが鳴り響くことは異常だそう。東京から来た友達ははじめてこの音を聞いて戦争が始まったんじゃないかと思ったと言っていた。そうすると、それに慣れて何も思わなくなってしまった私は異常だ(もしくはかわいそうな人?)ということになる。でも、そんな私を異常だというそれも実際には集団で見ている夢のようなものだ。そこにあるのは、ただこの雷鳴になれてしまった私という現象、それだけ。それは相手からの抑圧を、押し付けられるものをただ受け入れてしまっていることだ、という考え方も良く分かるのだけれど。でも、ちょっと違うのだ。そう見えてしまうのかもしれないけど。

 

カミナリの中で太鼓を叩いている操縦手たちは、どんな夢を見て、何を思っているのだろう。家族を、自国を守る誇り、悪い敵を倒す力をこの音に感じているのだろうか。


私にはこの音を巡って人々が争う無音の音の方が大きく感じてしまう。音のない爆音。この小さな島で様々な考えを持つ人びとの発する痛みや怒りという感情が私にはひどく重い。それを分かることができない自分が痛い。分かろうとする私もまた、夢を見ている。安全で、生ぬるい夢。団円のための団円。やさしさのためのやさしさ。生きることは果てしない。

 

雷鳴は去っていった。夜。恐ろしく静かな夜。風はないが涼しい。虫の声が響きはじめた。私の小指ほどもない体からどうやってあんなに大きな音を響かせられるのだろうか。生殖のために、遺伝子を残すためにそんなに小さな体から大きな音が出せるなんて、信じられない。私の体からオスプレイの音が出るくらいの比率なんじゃないか。いや、もしかしたら人間の見えないところで虫は巨大化してるのかもしれない...そんな馬鹿みたいなことを考えているうちに、ゆるやかなまどろみがやってきて、なんとなくその中に身を埋めた。夢から夢へ。

 

生きることは、夢を見ることだ。