#19 痛みとか苦しみとか
友人とそもそも悟りは必要なのかという会話をしたときに、仏教は(悟りという概念は)死や病気などの苦しみから離れるためにはじまったんじゃないかという意見があって、それに何となく納得させられることがあった。
・・・
今日朝シャワーを浴びた時、貧血と生理痛のダブルパンチに襲われた。
最初は何となくふらっとしてのぼせた感じ。それから頭がぐわんぐわんしてきて立っていられなくなる。だんだん手と足がしびれてきて息が荒くなり吐き気がやってくる。水にぬれた体が冷えてくると背中からだんだん痛みがやってくる。
気持ち悪さは体を冷やして時間がたつのを待つしかない。
生理痛は痛み止めを飲んで効くのを待つしかない。
そんな、痛みと吐き気に挟み撃ちにされて意識も体もぼんやりしているとき、私の頭は、「苦しい」と「早く終わってほしい」という気持ちでいっぱいだった。先が見えないし、それ以外考えることができない。理性や思考が入る余地がない。
でも、同時に(なんかこのまま「苦しい」だけに頭を占められるのは癪だな~)というちょっとひねくれた感覚がチラチラと脳裏をよぎった。
どうにか、「痛いと思っている私がここにいる~」みたいな感じで客観的に考えてみようとしたけど、それでもやっぱり痛いし苦しかった。
どうして苦しいときにはその苦しさから離れることが難しいのか。
どうして痛いときに痛みを気にしないことは難しいのか。
これが人間の本能というやつだからろうか。
苦しさや痛みは、体が異常に対する警報を出しているはずだから、その感覚は生物として間違っていないのかもしれない。
だけど、それを辛いと思うのは、嫌だと思うのは、私の頭が作り出しているのではないか。
その辛いという見方を変えれば痛みを違う受け止め方が出来るのだろうか。
痛みは物理的に体に訴えかけてくるからなかなか難しい…
瞑想は、自分の感情とか感覚を外から観察するものだから、理論的にはそういうことができそうな気もする。
誰か、そういうことをやっている人がいたら、物理的な痛みを違う受け止め方をしている人がいたらどんな感じなのか是非教えてほしいです。
ちなみにエクストリームな私の友人は痛がりながら笑うと言っていました。
あと、貧血になりがちで生理前の人は、
朝の熱いシャワーにはまじで気を付けて...まじで。
#19
#仏教 #瞑想 #痛み #苦しみ #生理