チャイと子猫といのちについて

f:id:tusensommar0408:20201031132618j:image

Photo by Rasyid Manulana

 

数日前、職場の同僚とお茶の話題からトルコに行きたいねという話になった。コロナのことも治安のこともあるから今は難しいけれど。

その時私はイスタンブールで飲んだチャイの小さくて熱いコップや、道に座ってなにをするでもなくただ人を眺めながらチャイを飲むおじさん達のことを思い出していた。

 

昨日エーゲ海沖で大きな地震があったというニュースを読んだ。トルコやギリシャで建物が倒壊してたくさんの人が怪我をしたり亡くなっているらしい。

 

そのことを知って私は、出来るだけ多くの人が助かるといいと祈ることくらいしかできないなと思いながら、出来るだけ多くの人が助かるといいと心の中で祈った。

 

同時に命の儚さを感じた。

もし私が今トルコにいたら、死んでいたかもしれない。もしかしたら自分も明日地震が起こって、事故に巻き込まれて死ぬかもしれない。命ってそういうものなんだなと思った。

 

イスタンブールに行ったとき、宿泊したゲストハウスの外にたくさんの生まれたばかりの子猫達がいた。人の目に映らないところに隠されていたのだが、なぜかスタッフのお姉さんが私を呼んで見せてくれたのだ。たくさんの子猫達のなかでも黒い子猫の目がとても綺麗で、その子猫の写真を撮ったのを覚えている。

 

部屋に荷物を置いたあと、少し街を散策しようと思いゲストハウスを出て、ゲストハウスの周りの茶色くて砂っぽい、熱い路地を1時間ぐらい散歩して戻った。ゲストハウスに戻ると、さっきのお姉さんが哀しそうな顔をして片言の英語で「あの黒い子猫は死んでしまった」と伝えてきた。原因は分からなかった。私もきっととても哀しかったんだろうと思う。色々あったけど、トルコについて一番印象深いのはこのことだから。

 

なぜか今そのことを思い出した。

きっと命の儚さを感じる出来事だったからだろう。

吸い込まれるような目をした子猫だった。

 

私もいつ死ぬか分からない。

今日のうちに死んでしまうことだってあり得る。それがあり得ないということは決してないのだ。

 

だから、あの子猫の美しい目やスパイスの香りのしないチャイ、気怠げなおじさん達が焼き付けられた細胞とともに、人生の一瞬一瞬を生きていこうと思う。

 

人は死ぬ。災害も起こる。それは命の摂理で自然の摂理。

だけど、たくさんの人が助かってくれたらいいと、心から願う。