憂鬱と生理と女

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ホルモンは、私の体の一部で、毎日せっせと私の体の中で色々な部位の働きを調整してくれている。その中でもエストロゲンは、女としての私の機能を調節して、そのはたらきで生理がきたり、妊娠をしたりするらしい。

 

 

もうすぐ生理がくる。

そのことを意識させられたのは、昨日かすかに、でも確かに心の翳りを感じたからだ。夏の終わりにほんの少し冷えた風を感じるみたいに。

 

なぜか、自分が何も成し遂げられないだめな人間のように感じて、人の素敵なところと自分との落差を見て心の隅で小さく絶望してしまうのだ。

実際大したことではない。ちょっと悲しくなるだけで現実には何も起こらない。その期間、心の中では小さな、たまに大きな嵐が吹き荒れているけど。

 

最近の普段の私であれば、人の素敵なところをみたら、私もそこからエネルギーをもらってがんばろうとか、自分にできないことはできないことでしょうがないと開き直ったり、まあ自分は自分がやることを積み上げていくだけだとか、そういう風な思考の流れに行き着くはずなのに、なぜかそうなってくれないのだ。自分ではコントロールできずに何かを少しずつ掛け違えて行ってしまう。寝ていないときとかすごく疲れた時と同じような感じかもしれない。

 

ホルモンって不思議だなーと思う。たしかに、眠くなったり、腰が痛くなったり、だるくなったり、そういう物理的なものももちろんあるんだけど、心にこんなに作用があるなんて。

 

これまでは、そういう風に心にも体にも「不具合」を及ぼす生理のことを月1の災害のように感じていて、あー、また来たよ。と邪魔くさく思っていた。

コンディションを整えて、波が収まるのを出来るだけ静かに待つ。あー、辛いんだね。あー、痛いんだね。と認識してあとは時が過ぎるのに任せる。

 

でも、今回は少し違う。

朝起きてすぐに「でもさ、そういう心のかけ違いとか、生理とかエストロゲンって、全て私の一部じゃないの?」と頭の中で誰かが言ったのだ。

そうなんだよね。別に外から何かが襲ってきているわけじゃない。これは私の中で起こっていることなんだ。私の働きの一部なんだ。

心のかけ違いだって、きっと私の心の中でいつもは小さくて見えないけどちゃんとそこにいる負けず嫌いとか完璧主義とか不安たちが、ホルモンの変化で栄養をもらって大きくなっているだけで、誰かが外から持ってきたわけではない。

生理だって、別に私を傷つけたいわけじゃなくて、私の体のつくり上、細胞のつくり上、痛くなったり、眠くなったり、不安定になったりしているだけで、一つ一つに働きや意味がある…

 

これは全て私なのか。と考えた時、なぜか急に自分の中に女を発見してしまった。

 

私は幸せな時代に生まれついたのだと思う。体のことはあっても、あまり自分に女を意識することはなかった。男の子と同じように勉強して、大学に行って、大学院に行って、就職して。もうそろそろ30になるけど、別に結婚しなきゃという思いもないし、子どももできればそれでいい、という感じだ。

 

だけど、心の嵐や生理、エストロゲンも全て私の一部なのだと改めて感じたら、「あ、私って女なんだな~」と体が理解したような感じがしたし、女であることも私の一部なんだと、私の中の女ネスを少し愛おしく思った。

 

まあ、やっぱり痛いのとかネガティブとかはしんどいから、これからも月に一度憂鬱になってしまうのには変わりないんだろうなと思う。でも、そういうのは全て自分なんだなと思えないのと思えるのはきっと違うと思うし、もしかしたらこれからはそんな憂鬱も自分として楽しめちゃうかもしれない。

 

私の憂鬱、生理、女。

これからも末永くよろしく。