ちょっと徒然ー資本主義について

最近セミの鳴き声?と雲の輪郭に夏を感じています。輪郭の濃い、存在感の強い雲を見ると久石譲のsummerが聴きたくなります。

 

セミって、あの小さい体からあれだけ大きい音を発せるってすごいですよね...今も窓閉め切った(クーラーつけた)家の中に結構聴こえてます。アブラゼミだと1秒間に200回(!)くらい羽を振動させているらしいです。いーち、の間に200回!

 

「サピエンス全史」(サピエンス全史については以前の記事を参照)で植民地時代(←資本主義の始まり)の高潔な資本家達は、植民地で行われている殺戮や搾取に対して無知だったというのを読んでから、資本主義は、商品の向こう側の存在から人々の目を背けさせてしまうのではないかと度々思っています。

 

もちろん、資本主義の全てが悪いとは言い切れない。頑張れば何かを手に入れられると思えば、やる気になる人もいるだろうし、今の便利な生活は資本主義の恩恵によって成り立っている。だから共産主義にしようというわけでも、新しいやり方を思いついた訳でもない。

 

だけど、例えば最近も話題になったけど、可愛い子犬達がペットショップに並ぶまで狭いケージの中でひたすら妊娠させられる犬達がいることだったり、私達に牛乳が届くために狭い工場の中でケージに入れられて乳を絞られてもう用済みになったら食肉に回される牛がいたり、安い服を作るために狭い工場に詰め込まれている人たちがいる。その向こう側が幸せじゃないとこちらの基準で測ることはできないけど、「利益」や「安さ」、「顧客」が第一になると、その向こう側にある世界が無機質な「原料」「労働力」として見えないものになり、関心の対象外になってしまうということが怖いと思う。

 

それに対して、現代では企業努力というものが叫ばれているし、そういうものに反対してそうではないものを生産する人々もたくさんいる。

 

私の答えはまだ出ていない。

つれづれ。