(本)「アラブの春」の正体—欧米とメディアに踊らされた民主化革命

おととし、中東について3本の映画を観ました。

 

一本目は「もう一人の息子」。イスラエルパレスチナの間で取り違えられて育ったことが分かった子どもとその家族がその事実と向き合っていく様子を通して、家族の絆、個人的な愛は宗教的政治的な葛藤を越えられる...というメッセージを発信している。

 

二本目は「それでも僕は帰る」。シリアで若者の民主化運動のアイコンになった元サッカー選手の青年を追ったドキュメンタリーで、平和的な民主化運動が武力闘争になり、若者たちが政府軍と戦う様子が描かれている。

 

三本目は「ラッカは静かに殺されている」。これもドキュメンタリーで、ISによるシリアの街への武力行使や支配に対して、命を狙われながらもSNSを使って抵抗する市民ジャーナリスト組織RBSSの戦いを追った映画。

 

どの映画も中東で起こっている問題を描いている素晴らしい映画で、知らないことを知れてとても勉強になったし、シリアやIS、パレスチナ問題について考えるきっかけになった。

 

ただ、そういう映画ではないから当然なんだけど、これらの映画の中で描かれていなかったのは、中東の民主化運動やパレスチナ問題に欧米や中東の権力構造がどのようにかかわっているかという大局的な目線だったのかな~、と、この本を読んでみて考えさせられました。

 

この本はレバノンで生まれ育ったジャーナリスト、重信メイさんの実際の現地での取材や経験を基に書かれています。

チュニジアで生活改善、政府の腐敗の改善を求める若者の抗議として始まり、多くのアラブの国に広がっていった民主化運動アラブの春。あまり何が起こっているのか良く分からなかったけど、個人的には、民衆たちの政府に対するデモで人々が一体になって歌う様子が印象的でした。

 

でも民主化や生活改善を求める運動として始まったはずのアラブの春は、国内の派閥争いに変わってしまい結局国民の望んでいた形での変革や生活改善にはつながらなかったり、欧米も含めた権力関係の中でメディアに欧米側の都合のいいように独裁者リーダー像が作られ武力介入の理由にされたり、そのような権力関係の中で国外からの支援(介入)によって武器が入りこみ、内戦が激化している現実があると、重信は述べています。そういう情報は普段、日本に住む私たちには入ってこない。

 

もちろん、この本も事実をある視点から切り取ったものではあるのだけど、私たちがニュースで触れている数少ない中東の情報は、欧米側に都合のいいように切り取られたもの、場合によると捏造されているものである(かもしれない)と、気づかされる。だって、そのほうが自分に戦局が有利になるもんな~

 

そして、SNSは民衆が立ち上がるための手段でありながら、同時に権力側の監視やイデオロギー拡散のための手段にもなり得ることを示している。

それは、映画『スノーデン』でもテーマでしたね。

(誰にも知られたくないことを話すときは、みんな携帯を電子レンジに入れるんだ…)

 

これってきっと、何においても言えることだと思う。

現代に生きる私たちは、たくさんの情報に触れることができるけど、その情報がどういう意図のもとに発信されたものなのか、そして何をどのように信じ解釈するのかは、私たち次第なんですよね。知ること、調べること、考えること大事。

 

ふう。