ばかみたい

くだらないね

今日も非難ばかりの大人達は

似たもの同士 狭い井の中 

いいね押し合い エコーチェンバー

自分の正しさ確かめる

 

否定のうえに成り立つ

薄っぺらな正義なんかに

一体何の価値があるの?

まずは自分を見つめてみたら?

自己肯定のマスターベーション

付き合ってる暇なんて

ありません

 

「多様性」なんて名ばかりで

増えたら憎悪は増すばかり

「正義だ」「社会のため」

って安全な殻の中から

「異常」を攻撃してばかり

どうしてそんなに自分ばっかり

正しいと思ってるの

あっそれは私もそうか

 

でも私は知ってる自分が間違ってるって 

それほんとに?

無知の知を装った陶酔じゃない?

危ないぞ 用心しろ

 

いいことをするのは気持ちいいね

あ、でもまって

それは一体 誰にとっての

いいことなんでしょう?

みんなのため世界のためを装った

自己欺瞞なんじゃない?

自分のために人を使うな

自分のためだと吐いてしまいなよ

 

ばかみたいばかみたい

正義なんて大嫌いだ

ばかみたいばかみたい

いいやつの面したただの傲慢

ばかみたいばかみたい

そんな風に人を傷つけるなら

私はずっと間違えていたい

 

ばかみたいばかみたい

そんなことを思いながら

今日も口を閉ざす

そんな私もばかみたい?

食べるように読む

特に理由はないけど、よしもとばななさんの作品を食べるように読んでいる感覚をずっと持っていた。

 

ある辛い時期、仕事をしている時間、ご飯を食べている時間、お風呂と寝ている時間以外はずっとよしもとばなな作品だけを摂取し続けていたことがあった。仕事がはじまる前も車の中で読んでいたし、読み終わる前にはブックオフに行って、次の本を何冊かストックしていた。それは栄養摂取の一つといっても差支えなかったと思う。特に理由も分からないまま、日々よしもとばななの本を読むことでどこかに踏みとどまっていたんだろうと思う。あるときそれはぴたっと止まって、他の本と同じようなペースで読むようになったけど、今もばななさんの本は目の前にある美味しいデザートを我慢できなくてがっつくような感じで読んで、読後は美味しいものを食べたなあという気持ちで満たされる。どうしてだろうと思っていたけれど、最近吹上奇譚を読んでいて、なんとなくその理由が分かった気がした。多分私は、ばななさんの本に通底する(?)、「(見えないものも含めて)ふんわりと世界を肯定する目線」が好きなのである。少なくとも吹上奇譚では、主人公がもっている、ざっくりと世界を祝福する目線が好きだ。決して「そうしなければいけない」という道徳っぽい感じではなく、あくまで自然体で世界のいいところを見つめ、愛する視点で描かれている気がする。その言葉を体に入れたあと、世界っていいところだなという目線をもって世界と向き合えるというか。そして、多分それが当時私にとっても「そのままでいいよ」と感じられたのかもしれない。だから、私は弱っていたあの時むさぼるように、無心によしもとばななを読み続けていたのかもしれないと思った。そして、今も「そういえば食べてなかったな」という感じで大好きなお菓子を食べるように、ばななさんの大好きな言葉と世界を、頭と体と心に取り込もうとする。その無心に取り込む感覚は、小学生のころ、ハリーポッターやダレンシャンなどのファンタジー小説江戸川乱歩などの推理小説の世界観に入り込むように読んでいた感覚と近いのかもしれないな、と何となく思う。

秋の風

急に寒くなった。

ここ最近朝夕は涼しくなり始めていたものの、夏の抵抗は激しく、先週の土曜日まで日中は30度辺りの気温で外を歩くのが辛いくらいだった。のに、翌日の日曜日になるとそれが嘘だったかのように冷え込んだ。今度はびゅうびゅうと吹き付ける風の冷たさで外を歩くのが辛くなった。冬が夏と秋をまとめて背負い投げてしまったみたいだ。沖縄本島に必死にしがみついていた夏も、迫りくる冬の勢いには勝てずにすっかりと姿を消してしまった。その勢いには人間たちの準備も追いつかず、コインランドリーに急いで冬の布団を回しにいくと、同じように毛布を乾燥機に入れるお母さん(のような人)たちをたくさん見かけた。食欲の秋も読書の秋もまだ味わってないのに、そんな極端な季節の変わり方なんてひどい、もうちょっと余韻に浸らせてくれ、と季節にクレームを出したい(笑)本来自然とは人間なんかにコントロールできないものなので、そんなこと言えること自体が贅沢なんだけども。

 

スウェーデンに留学していたとき、すっかり季節観を改めさせられてしまうことがあった。留学する前は20数年ずっと沖縄に住んでいて、当たり前のように四季があると思っていた。だいたい9月までが夏で、10月が来ると自動的に秋になって、12月頃から冬になる...そんな感じで。だから、スウェーデンで「秋」を発見した時はショッキングだった。街中や森の木々が紅葉したのだ。そこら辺の木にりんごの実もつき始めた。木々は黄や茶に染まった葉を落とし、公園には落ち葉のじゅうたんで遊ぶ子どもたちの姿を見た。「秋だ!!!!」と思った。そこでふと考えた。もしかして、沖縄に秋はなかったんじゃないかと。わたしたちは、学校教育で「四季」という概念を学ぶけれど、それは日本国民として全国統一された教育の中で学ぶことだ。その概念や記号を現実として受け入れて、何となくそれらしい時期になると秋だと認識していたけれど、それは私たちの頭がそう思い込んでいるだけだったんじゃないかと思った。だって、亜熱帯の沖縄では木も紅葉しないし、金木犀の匂いだってしないもの。半袖だし。それは春も同じだった。スウェーデンの長い暗い冬を抜けたとき、春が訪れた。花が一気に咲いて街に人が出てきた。谷川俊太郎の「この気持ちは何だろう」の気持ちが初めて分かった。沖縄には四季はない、そう思うとともに、私は沖縄の人間なんだなということを、強く感じさせられた。

 

といことで、私はスウェーデンから帰ってしばらくの間、沖縄に秋はないのだと思っていた。けれど、今度は沖縄でその季節観を再度改めることになった。就職して、朝散歩を始めた。すると、夏の終わりから冬の間にかけて、季節の変わり目の風が吹くことに気づいた。夏のぬるさを残しつつ、遠くから冬の冷たさを運んでくるような風。この一瞬、あの暑くてむしむしとした夏が行ってしまうことが寂しくなってしまうような風。「秋だ!!!!」と思った。沖縄では秋は分かりやすく目には見えないけれど、そしてとても短い間だけど、風が秋を運んでくる、そう思った。そして、この秋の風を私は愛している。

もう1人の私

最悪だ。生理は。
思考がおぼつかなくなる。

 

血が足りなくなるのか、ぼうっとして意識にもやがかかり、心はじめじめとした曇り空のようになるし、言うまでもなく体はだるい。お腹と腰はもちろん痛いし、足に力が入らなくて胸焼けがする。だから、なのか、これが元々の私なのかしらんけど、思考も低空飛行だ。自分がやることなすこと全て、間違っているような気持ちになる。こんなのがこれからもかなりしばらくの間月一ペースでやってくるなんて、やっぱり最悪だ。子宮をちょんぎってやりたくなる。

 

だけど、頭の隅でいつもと違うこの感じを何かに利用してやれないかと思っている自分がいる。だって、通常モードの私と違う私がいる、ということは、いつもの私と違う考え方を持った自分がもう一人いると言うことだから。良きにつけ悪しきにつけ、いつもの自分と違う考え方ができるに違いないのだ。(確実に理性は弱くなっている(笑))いつもの自分と違う自分がいるってめっちゃよくない?と思ったり思わなかったり。


いい使い道、見つかるといいな〜

言葉にならない会話

ちょうそんの家の畑でとれた大きな生姜をもらった。1つで200gのでっかい生姜。せっかくだからジンジャエールを作った。(手作りのジンジャエールめちゃめちゃ美味しい)

 

ジンジャエールだけで捨てちゃうのはもったいないので、出し殻をもう一度煮て生姜湯にした。

 

ということで、数日前から生姜でからだほかほか祭りを開催している。今も生姜湯をのんでいる。3日経ってもまだ美味しい...のだが、飲んでいる舌の奥でかすかに「もう少し...」な味がするのだ。生姜が(もう少しだからね。お早めにね)って小さい声で言ってくるみたいな。

 

私も、(そうですか。そろそろですか)とそそくさと飲む。これを逃すともう飲めなくなっちゃうから。

 

食べ物の状態の変化とその小さな変化を捉える人間の味覚の不思議。

両手の無い少女の話

この手は●●●内戦の時に、日本軍が受けたテロの報復攻撃で失ったのよ。あなた、●●●は来たことあるかしら。

 


両手の無い幼い少女は憎々しげな目をこちらに向けて言った。

 


私はない、と答えた。

すると彼女はパスポートを見せろと言った。

パスポートなんて持っていない、と私はいい、自分の鞄をさぐった。

するとあったのだ。たまたま。

 


どうしようもなくパスポートを取り出したが、行った記憶のないその国の名前が入っているはずがない。ペラペラとページをめくり、彼女に確認をするよう差し出した。

その時見つけてしまったのだ。ページの間にその国の言葉を。もしかしたら行ったことがあるのかもしれない。

しかし私は全く知らないという顔を崩さずにパスポートを差し出した。

そんなものを見ても無駄だと思ったのだろう。彼女はパスポートを見ずに立ち去った。

 


その後しばらくしてまた彼女とすれ違った。その時私は、両手のことに私は直接関係はないが、日本国民としてそのことを本当に申し訳なく思っていると彼女に告げた。

 


彼女の表情は覚えていない。

 


という夢を見た。

蜘蛛

大きな蜘蛛が大きな巣をつくって
空中に浮かんでいる
黄色と黒のからだ
本能が近づきすぎるのは怖いといっている

見る木見る木に蜘蛛が浮かぶ
「夏だなあ...」と無意識が言う
蜘蛛が苦手な彼に話そう
いっぱいいたよって
きっと辟易するだろう

 

そういえば、この蜘蛛
昔の彼と一緒に見たな
夏の阿嘉島
あそこの蜘蛛も大きかった
青い空にゲストハウスのシーツがはためく
海に太陽がきらめく
幸せな時間
彼も蜘蛛が大嫌いだった
唯一蜘蛛を見ると私の後ろに隠れた

 

悪いことをしたな

 

大きな蜘蛛のなかに
蜘蛛の苦手な彼と彼が
つながる

 

きっとこの先 一生出会うことのないであろう
彼ら